偶さかの母

石原 葉珠 著


母・浅音は、もとは裕福な家の出であったが、暮らしの変化と夫への失望、姑との軋轢のなかで、次第に苛立ちと絶望を募らせていく。
その怒りはやがて、家族への攻撃へと変わり、ついには自らの身を賭して、家の中に復讐の火を放つ――。

――準備万端整うと、浅音は大きく息をついた。
そうして、振り向きもしないで我が家を後にしたのだった。

――これから自分が引き起こす一大イベントのシナリオで満杯になっている浅音の頭の中に、二人の娘の存在は一切なかった。

浅音は、悲劇の犠牲者ではない。
満たされぬ思いを抱えながら、家族を責め、試し、壊していった。
その姿は残酷で、痛ましく、そしてどこか滑稽ですらある。

年月を経て成長した娘・小春は、母の記憶を辿りながら、「生」と「死」の境を見つめ直す。

――この世の苦しみより死ぬことのほうが悲惨だと信じ込んでいるだけではないか。

――一枚の葉っぱがこの世で散る運命にあることは避けられないが、その時には生死が表裏一体だという真実に身を委ねればいい。

愛と憎しみの果てに浮かび上がるのは、母を赦すことではなく、母を通して「慈悲」に触れること。
家の静けさの奥で、誰もが誰かの痛みを抱えて生きている。
本作は、その沈黙を見つめた、一篇の記憶です。

【著者プロフィール】
石原葉珠(いしはら・ようじゅ)
1955年 東京に生まれる
      東京芸術大学美術学部絵画科油画卒業
      仏教画家
2021年 画集『一切不二』出版
2023年 小説『鏡』出版
2024年 一法庵・山下良道老師より戒名「葉珠」を拝受
      正式に仏教に帰依する

〔書籍情報〕
Kindle版
出版日:2025年11月11日
価格:880円(税込)
リフロー型